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飯山市の歴史

飯山は、古くから山国信州と日本海を結ぶ交通の要所として栄え、塩、魚などの海産物の集散地、
また大和朝廷時代の越後・出羽開拓における重要な駅路としての役割を担ってきました。

◎戦国時代

上杉謙信の川中島出陣の際の前線基地として、戦略的にも重要な地となり、永禄7年(1564年)には
千曲川左岸に飯山城が築かれました。飯山の都市形成は、この飯山城を中心になされ、幾度かの城主
の変転を重ねる中で、しだいに城下町としての機能を整えてきました。

◎江戸時代

千曲川を利用した舟運と越後に通じる街道を使った物流機能が発達し、また、新田開拓とかんがい
用水の整備が積極的になされ、農業の基盤が確立されました。

◎明治維新より

明治4年の廃藩置県によって飯山県となり、さらに長野県に編入され、町制は明治22年に施行されました。
戦後の昭和29年8月の町村合併促進法の施行により、飯山町を中心に秋津村・柳原村・外様村・常盤村・瑞穂村・木島村の1町6村が合併して飯山市が誕生しました。市はその後、昭和31年に太田村・岡山村を編入し、現在の姿に至っています。

明治26年、飯山を経由しない信越線の開通により、徐々にその物流拠点としての機能を失い、その後は農業を中心として飯山仏壇、内山紙などの伝統工芸をはじめとする地場産業により発展しました。しかしながら、昭和30年代後半からの高度経済成長期において、産業の立地する条件をもたなかったこと、さらに豪雪地帯であるというハンディもあって経済成長が停滞し、若年層を中心とした人口の流出を生じました。
市の文化・市民性としては、江戸時代から続く寺町文化・雪国らしい連帯と協調の精神があげられ、名僧正受老人の正受庵をはじめとする寺社景観、斑尾・戸狩などのスキー場、千曲川、北竜湖などの自然資源とあわせて、日本のふるさとにふさわしい豊かな風土と魅力をつくりだしています。
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